東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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世界の巨大なチラシの裏側 3 映画「シチリア!シチリア!」を見て思ったこと

映画「シチリア!シチリア!」を見てきました。
ストーリーと言うほどの物語がない映画だったのですが、素晴らしかったですよ。
まずは映像。すべてのシーンが、そのまま写真として芸術になりうるくらいの。監督と音楽は「ニュー・シネマ・パラダイス」を手がけたジュゼッペ・トルナトーレとエンニオ・モリコーネ。芸術的だったので、たぶん一度見ただけでは気づかないであろうことがたくさんあったはずです。まだあと二回くらいはみたいですね。少なくとも。
舞台は一九三〇年代のイタリア、シチリア島のバーリア。(バゲーリアを、地元の人はこう呼ぶ。)第二次世界大戦に揺れるイタリアとその市民を美しく描いています。

・・・・・・見たいけれどまだ見ていない人がいたら残念なので、展開については言及しません。たぶん。


あの頃、生きることはもっと美しかったんだ、と見終わってから最初に思いました。政治はもっと世間をよくするためにあって、社会主義はその中心だった。人間の行動範囲は狭くて、でもそのなかでも満足できるくらいの人生の楽しみ方を知ってい。だから嬉しいことも悲しいことも、人生は美しく見えたのでしょう。

あれほどまで町並みを美しく映したのは、現在の景観と対比させるためではなかったのかな。確かに発展して経済的に豊かにはなったけれど、町並みは無機質に醜くなってしまったし、人間の生き方についても同じでしょう。人と人はもっと互いに近いところにいて、互いを欠かせない存在だと思って生きていた。感情表現はもっと粗野だったけれど、きっと常に無表情で生きている現代人よりはよっぽど、あらゆることを楽しんでいた。(だからfacebookなんか・・・・って、もう言い尽くしたことだからいいですか、そうですか。)

私は二十歳だから知らないけれど、日本も高度成長期あたりまではそうだったんじゃないかな。ある程度発展してしまった後で、日本人は豊かになろうという意志もなく、ただ過去が作った恩恵だけにすがって生きるようになってしまったのではないでしょうか。一度手に入れた便利さを、手放すことは難しい。「喜び」や「楽しみ」はずっと身近に簡単に手に入るようになってしまったけれど、それらを手に入れるまでの過程を忘れてしまえばそのありがたみもなくなっていくのでしょう。
豊かになることは、確かに素敵だ。でもすべてが便利になりすぎてしまったら、それこそSFの世界。人間はなにもしなくてよくなる。機械とかコンピューターが全部やってくれる。人間は自らその存在価値を否定することになってしまうでしょう。でも一度発展してしまったら、発展し続けるしかないというのも事実です。なぜなら企業なしにはものは作れないけれど、企業は潰れてしまわない限り新しいものを作って売り続けなければならないからです。
いま、手を伸ばせば欲しいものは手に入ります。その便利さを知ってしまった以上、「いまあるもので我慢する」という意識を持つのは不可能でしょう。携帯がなければ不便だけれど、最近の若年層にはそれどころかないと生きていけないと言う人が多い。繋がっていることに依存しているんです。

日本の政権は迷走して、借金も増えて、どんどん悪くなっていく一方です。この映画に描かれた時代、少なくとも政治は今みたいな理由の為には存在しなかった。日本は墜ちていく。その理由は昨日書いた通りです。でも、今の日本人には、エジプトのようなデモや、安保闘争のような運動をやる風潮はありません。私はその理由を、この飽食の時代のせいではないかと思っています。今まで、すべてのことが、なんとかなってきた。だからなんとかなる。今の生活に何一つ不自由はないし、苦しいこともない。政治なんて政治家のためにあって、テレビの向こうの世界の話だから。
でも今の政府がやっていることは、子供の名義で金を借りて豪遊しているようなものです。ジジイばかりの国会議員、借金がどうしようもなくなった時に、奴らはもうくたばっているか、厚かましく長生きしてても耄碌しているか薬なしでは生き延びられない状態。若者が怒る理由は大いにある。
でも政治についてそこまで本気で考えていないのは、若い世代の生活に政治がそこまで直結していないから。数十年前なら違ったかもしれないけれど、いま生活に直結しているのはむしろ企業だとか、ネットワークの話。たとえ話がわかったとしても、動きはしないでしょう。

もう一つ、科学技術ではない科学が、発展してしまったからこうなってしまったのかもしれない。
昔々、進化論もなく理論物理学もなく、地球の始まりとか生命の始まりだとかの説明がつかなかった頃。人間は不安だったでしょう。なぜ、自分がここにいるのか。どうして人は生きているのか。
その答えを教えてくれるのは、宗教だった。原罪の為に生きなければならないとか。そう教えてくれて、どのように生きればいいかを示唆していれば、安心したんじゃないかな。そうだったのか、だから私は生きなければいけなかったんだ。って。宗教の中でも、人々の共感を得られるものとか、環境により適したものが生き残ったのではないかな。だから宗教の内容は概ね多くを求めないこととか、そんなことを教えている。そうやって生活しないと身を滅ぼすことが経験からわかってきたんでしょう。
でも、世界の真理はそうではなかった。謎が解き明かされていくにつれて、既存の宗教が必ずしも正確ではないとわかってきました。しかしそれは同時に、人間に存在の理由がないことを証明しています。
宮沢賢治の詩『生徒諸君に寄せる』にはこうある

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性は
ただ誤解から生じたとさえ見え
しかも科学はいまだ暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
(中略ー引用者)
あらゆる自然の力を用い尽くすことから一歩進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ



自立って、難しいですね。携帯や文明に頼って生きるのも自立できていないと考えていいのではないかな。原発に朝鮮からのミサイルでも落とされて首都圏大停電、あらゆるツールが使えない、何があったのかわからない、なんてときにも、精神的に平静を保っていられるくらいの自己ではないと、衰退していく社会で生きていけるのでしょうか・・・・。まぁ、いまは豊かだから、いいかもしれないけど。何かに頼って生きていたんじゃぁ、困難にも立ち向かえないでしょう。てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ。そういったのは、矢沢だった。経済的自立、精神的自立のほかに、(あるいは精神的自立の中に)、文明の利器からの自立、っていうのも、今後必要になってくるんじゃないかと、私はおもう。
この時代に逆行して、肥大化する社会から離れ回帰しようという動きは、世界のおもに先進国のごく一部で、すでに存在はしているけれど、でもそれが浸透しないのは、現代人の理想とは遠くかけ離れているからでしょう。スローライフとか、LOHASとか、小さなブーム的なものではあるけれど、身近なところにも、そういった考えがありますね。
常に進化していく時代が、止まるということはないでしょう。でも利益と理想を追求している企業よりは、ありのままの人間の姿に回帰しようとする流れの方が、本質を見ているから、成功するとは思いますよ。それがどのような形でなのか、私には想像がつきませんが・・・・。もしかしたら、人間が使いうる資源の限りを使い尽くして人間が困り果てた後に? 絶望する人間の精神を救うのは、そういった思想かもしれませんね。物を作るための力も物もなくなって企業がどんどん潰れていけば、その思想を消そうとする動きもなくなるでしょうから。誰か、そんな主題でSFを書いてくれないかなぁ・・・・。

でも私は予想屋ではないので、ただ予想して終わり、という風にはしたくありません。動かなければ・・・。
この世界を変えるために、自分ができることをもっと考えていきたい。


昨日までは文献を引っ張って話を進めてきましたが(多少論理展開が強引なところもあったけれど)、今日は映画の感想として、個人の予想や推測をもとに話を進めてみました。
昨日の記事を書いたときには、もうこれで終わりだと思っていたのですが、今日映画館を出たら、いつもの新宿がちょっと違った町並みに見えたので、これは続きが書けるかなぁと思って書いてみました。またこんなに長い記事になるとも思っていませんでした。読んでくれてありがとう。なにがご意見がありましたら、コメント欄にでもメールでも直接いうのでもどうぞ。でも幻影にすぎない幸せを求める気はないのでどうぞ本音で語ってください。
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by s-a-udade | 2011-02-17 23:00 | 日常