東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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世界の巨大なチラシの裏側 4 コミュニケーションツールの進化論

昨日の記事を書いていたときには、「世界の巨大なチラシの裏側」には、もう書くことがみつからないと思っていたけれど、書き終えた直後からまた、書きたいことが出てきてしまって。ほんとうに、わからないものです。
もともと、シリーズになるはずじゃなかったのになぁ。
今日も私の経験と推測から話をさせていただくので、あまり論理的ではないかもしれませんが、気軽に読んでみてください。

毎日毎日、ことあるごとにfacebookに書き込んだりしてる人がいます。気づいたらその人の書いたことでいっぱい。何かあると書かずにはいられないのかな、なんて思ってしまう。
以前に、付き合っていたというか、遊んでいたくらいの仲だけど(彼女は本気だったのかもしれない)、まぁ遠距離恋愛?擬似恋愛?をとにかくしている人がいました。(あの頃の私は酷い男でした。今もかな?)彼女は韓国に留学していて、まぁ金持ちだったから国際電話もバンバン掛けてくるし、日頃のやりとりはメールでした。メールだったら、まぁ日本にいるときと感覚は変わりませんよね。お金持ちなので月に一回は帰ってくるし、それほど遠距離っぽいそれではなかったのです。
で、何が言いたいかって言うと、私の提案で、エアメールを交換しようって話になったんです。文通。彼女はろくに手紙とかを書いたことがなかったんだけど。
そうしたら、私が思っていたのは、手紙を書いて、相手の返事を待って、待ちわびて毎日ポストを見ては一喜一憂して、相手の気持ちをちゃんと読んで、考えて書いて出して、・・・・の繰り返しなのかなぁ、とかって。まぁそんなロマンチックな恋なんかじゃなかったから、それほど期待していなかったんだけれど、まぁそんな感じかなあって。

しかし、実際。

私は一度も手紙を書くことはありませんでした。
しかし彼女からは、本当にたくさんの手紙が来た。
つまり、私のことを思って、常日頃思ったことがあればそれを手紙にして送ったのです。返事を待たずに次の手紙を書く。次第に「何月何日」と書かれた手紙(?)が何束か一気に届くようになりました。
・・・・・これはおまえの日記帳じゃねぇ!!
つまり返事よりも、今の自分を伝えるだけで満足していたんでしょうね。相手と意見とか気持ちを交換していくものではない。
投げて、それでおわり。
これじゃぁコミュニケーションじゃないではないですか。お互いの言葉を交換しあって、話す、だからコミュニケーションなんですよね。まさにキャッチボールですよ。
だから、メールをしていても楽しい人は、ちゃんと人の話を聞いて、的確な意見とか答えを返してくれる。自分の感情をぶつけるだけじゃない。そしてそういう人は、だいたい会って話すことが大事だとわかってる。
聞いてみれば、最近の中高生は愛の告白までもをメールでするそうな。おいおい、文字だけ伝わればそれでいいのかい?君の恋心とやらは、文字コードに変換できてしまうくらい単純なものだったのですか?

私の元カノ(?)個人のことを一般化して話すのはよくないけれど、彼女だけではないと思いますよ。たくさんいるでしょう。そういう人は。
今はメールでインスタントにメッセージを・・・・いや、言葉を送ることができるけれど、手軽すぎて会話というよりも、送る側だけが主体になっていてしまって、相手が存在しない。顔が見えないんだもの。相手が退屈そうにしている顏も見えないし、面倒だけど義理だからって鼻くそほじりながらメールしてても相手には見えない。ただ感情と、笑いと、たまに共感があったりするだけ。そんなことばかり話していたって、人生に刺激を与えるだけの親友なんて生まれる筈はない。人生に花を咲かせる恋ができるはずがないんです。どうなってしまうんだ、この国はいったい・・・・・。

でも、私はこのまま、ネットワークを使った「コミュニケーション」が、むしろ相手の顔を見て話す会話よりも主流となってしまうのではないか、と恐れている。もうなってんのかもしれないね。
たとえば音楽にしても、元々はコンサートなんかで聞くのが主で、(もっと以前は違う形だっただろうけど、干渉としての音楽が主流になってからの話。)レコードはそれの代替手段として生まれた。だけどレコードが発達して、安く作れるようになり、デジダル化して今はCDどころかダウンロードが主流だ。ポピュラー音楽のライブならそれなりに楽しみもあるが、そうでなければ静かにしていないといけないし、好きなところだけ選んで聴くこともできないし、という「欠点」さえ見えてきた。
文字だけのコミュニケーション、あるいはネットで繋がった会話にしても、いずれ「会話」といえばそっちの方がメインになってしまうんじゃないかなぁ。直接会って話すと気を遣わないと行けないし、面倒だ、なんて時代がくるのかもしれない。おそろしいおそろしい。
それじゃあ相手の心って言うものは見えてこないでしょう。ふとした目線だとか、ちょっと会話が途切れたときの息づかいだとか、手を弄ってもじもじしているところだとか・・・・。そいうところからわかる相手の感情っていうのは、かなり大きい。でも会話だけじゃぁ心はつかめない。相手の本当の感情って言うのはわからないはずだと思うんだけれど。

本質を見ようと言ってきたけれど、それは物事を理解すること以前に、自分の心に当てはめてみるべきなのだろうと、最近気づいた。自分に迷いが生じたとき、自分が本当にしたいのはなんなのか、目標を達成するために必要なのはなんなのか。
あるいは恋において。迷いはいろいろとあるかもしれない。でも、自分や相手が一番幸せでいられる道はなんなのか。自分の感情のなかで、一番大切な物は何?どれが幹で、どれが末梢なのかを把握して、決める。だから一時の楽しみのための恋もどきは所詮後悔しか生まない。(先に述べた、手紙の女性のように。反省しています。)自分や相手の幸せを考えて出した結論だったとしたら、幸せになれるでしょう。本物の、心からの恋というのはこの上ない幸せです。(私は幸運にもそちらの方に出会ったことがあったらしい。)自分の本当の気持ちを見つけることで、自分に忠実な生き方ができるのではないでしょうか。

本質を伴わない行動もまた、チラシの裏の落書きのようなもの。ただ楽しみのために、手を出した賭博だとか、怒りの為に殴っただとか、そういうことは人を幸せにはしてくれない。ただ自分の感情だけで完結してしまうほどの「コミュニケーション」は、落書きの交換、二人マスターベーションです。そんなんじゃ、さみしいじゃない。もっと、生きている人間を見なきゃ。俺、ここにいるよ?
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by s-a-udade | 2011-02-19 00:47 | 日常