東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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世界の巨大なチラシの裏側 5 旅先でいつも思うこと

あぁ、旅に出たい・・・・。あと一月経ったら行くけれど、今すぐに行きたい。近場でいいから。あ、大使館行かなきゃ・・・・。
私がする旅と言えば専ら貧乏旅行だけど、それが悪いことだとは思わない。いやむしろ、お金を持っていたとしても、今みたいな旅をするんじゃないかなぁ。旅するなら絶対に一人だから高いホテルに泊まったって退屈なだけだし、バックパッカーズとかに泊まって世界中から来た若者と語り合ったりとか、B&Bに泊まって地元の人の話を聞いたりとか、そういうことが旅の楽しみだから。ただ有名な教会とか歴史的な建物を見ることが旅だとは思わない。観光旅行ならありかもしれないけれど、観光旅行がしたいのではなくて、旅がしたいんだ。

若い人の旅行離れが叫ばれているけれど、実際減っているのは海外旅行だけだ。むしろ国内旅行なら積極的。
国内旅行というのは、ちょっと贅沢なレジャーとしてとか、親睦のためとかいろんな理由で行ける。
私が、若い人が海外に行かなくなった理由に、インターネットやテレビで、簡単に世界を手にした気になれてしまうことがあるのではないかと思う。世界中いろんなところを旅する番組ばかりだ。「世界ふれあい町歩き」なんて素敵な番組だけど、それだけで旅した気分になってしまう。気になったらネットで調べてしまえばいい。こんな観光名物があって、それをいろんな角度から撮った写真もあり、誰かが書いた旅行記まである。そこまで揃っていて、もう充分なのかもしれない。確かにネットで見たものを実際に目で見ただけでは、そんなに感動もないかもしれない。ハイヴィジョンの鮮明で美しい映像だとか、名高い写真家の撮った写真だとかが手に入る。撮り方がうまいからむしろ自分で見たらがっかりするかもしれない。
あるいはテレビが価値観を作っているのかもしれない。テレビに出ていた店が○○で紹介されたからって理由で行列ができたりする時代だ。テレビ番組や雑誌で取り上げられた店とかものとか、そういう物ばかり追いかけて満足しているだけじゃ、いつまで経っても自分の価値観っていうのは形成されないんじゃないかな。ではもし、ある人がある番組の特集ばかり追いかけていたとして、その番組が、高いお金を払った店ならどこでも紹介してしまうような番組だったと発覚したとしたら?その人の価値観なんてものは、どこにいってしまうんでしょう。自分が、自分でいいと思ったものだけを選んで満足する、そうやって価値観ができていくんだと思う。
だから私は、ガイドブックに頼った旅行というものをあまりしない。ガイドブックは確かに、歴史的な価値とかを総合してできるだけ客観的に作っているのだろうし、確かに歴史とかを勉強してから旅してみると楽しい。だけどそれはそれで、他に自分が素敵だと思えるような自分だけの発見、みたいなものがあるといいな、と。ここの教会の入り口の番をしてるおばちゃんがとってもチャーミングで優しい、とか、ここの小さいお土産物やさんの女の子が綺麗でフレンドリー、だとか、広場の噴水に腰掛けて人の流れを眺めているとなんとなく落ち着く、だとか、たまたま見つけたカフェとか・・・・・。
世界遺産めぐりとかっていうのも、馬鹿馬鹿しいと思う。私はね。
確かに世界遺産だというのは一定の価値を認められたということだ。でもそれは歴史だとか景観だとか、一定の基準から見たもので判断しているに過ぎない。誰もが同じ価値観を持っているのならいいけれど、にんげんだもの。人の感じがいいだとか、もっと個人的に、この宿のマスターが優しかっただとか、そんなふうにその街を好きになることだってあるでしょう。
夏目漱石は『愚見数則』という文章でこういっています。
鶴は飛んでも寐ても鶴なり。豚は吠えても呻っても豚なり。人の毀誉にて変化するものは相場なり、値打にあらず。
世界遺産に登録されたからって価値が変わるわけじゃない。世界遺産だから価値があるというのも間違いだ。書道のコンテストで金賞を取ったからその書が綺麗になるわけじゃない。もともとその書は綺麗だったのだから。それに世界遺産じゃなくたって自然や文化は同じように尊重するべきでしょう。どの文化が劣っていて、どの文化が勝っているなんてことは絶対にない。
だから旅に行くと、できるだけ日程を柔軟に変更できるようにする。旅仲間から、この街が良かったとかっていうのを聞いてそこに出掛けてみたりだとか。なるべく一つの街に長く滞在して、自分が気に入る自分だけの場所を探してみる。だから街に着いたら、ガイドブックや地図は持たずに、ただひたすら歩いてみる。カメラと財布だけを持って、ふらふらふらふら。あ、ここ、なんかいいな、落ち着くなっていうのを探す。がいどぶっくなんかに、「この鐘楼からの眺めは圧巻だ」なんて書いてあると、期待して行ってしまうけれど、そうして見た景色というのは前もって心の準備があるから驚きがない。そうではなくて、間違ったバスに乗ってしまってたまたま着いた丘の上から、さっきまでいた街を見下ろしたら映画の一部みたいな美しさだった、なんていうのはずっと心に残る。旅の醍醐味は邂逅だ。人との邂逅であり、街との邂逅であり。

旅先で書くエアメールっていうのも、割とすきだ。自分には帰る場所があって、そこには仲のいい友達とか仲間がいる。いま旅の途中で自分はひとりだけど、繋がっている。旅先で書く手紙っていうのは、返事を期待して書いたものではない。その手紙の文章の中には、自分しか存在していない。そういう点で、ネット上に氾濫するあのメッセージと同じなのかもしれないね。でも違うのは、旅先で書く手紙は、書こうが書かまいが、「あの人どうしてるのかな」っていう愛情だとかがこもっている手紙だっていうこと。たとえ自分が主体の手紙だったとしても、そこに込める思いで意味は全くかわってくる。
ある人と一年近く、ずっと手紙だけのやりとりで関わってきたことがあった。あの人からの手紙来ているかな、なんてのが楽しみで毎日家に帰った。月に二度か三度かしか手紙は来ないけれど、だからといって、普段メールすればすぐに返事の返ってくる友達よりも距離があったとは思わない。ちゃんと気持ちのやりとりができていたからなんじゃないかな。むしろ、無意味なメール交換を頻繁にする相手よりもずっと近くに感じていた。
昨日書いた元カノの話じゃないけれど、現代人がメールみたいな感覚で文通しても意味ないでしょうね。メールはコミュニケーションツールかもしれないけれど、今は「コミュニケーション」に本当の意味の「コミュニケーション」が入っていないのですもの。
手紙が届くか届かないかもわからない時代、届いたとしても返事などとても期待できないような時代の手紙っていうのは、とても興味深い。たとえば万葉集、あれに載っている恋の歌なんて、込められたメッセージが濃くて濃くて、時代背景とかその人置かれていた状況だとか、そういうことを解説してくれないととてもじゃないけれど読み解けない。(だから高校生なんかにそういう歌を読解させるのは酷でしょう。)でもその意味がわかると、これだけの和歌が詠めるほどの気持ちと才能に驚く。残念だけど、簡単に気持ちが伝わってしまうご時世だから、どんなに有名な歌人であっても、それだけの歌を読める人っていうのは、まずいない。再び戦争が起きて、日本中焼け野原になってしまえば詠めるかもしれないけどね。

愛おしくてどうしようもない気持ち、でも会えない、そういう時間が、恋や愛をはぐくむのではないかなぁ・・・・。
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by s-a-udade | 2011-02-20 00:58 | 日常