東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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私にとっての東洋医学 気の思想

私が鍼灸を勉強しているのは、このブログの読者の方にはたぶんご存じの事と思います。
いずれは東洋医学について、知識のない人でも、どんなものなのかを理解できるような記事を書いてみたいなーと思っていたのですが、なかなか書き出せなかったのです。
というのも、東洋医学について解説した書籍やホームページはごまんとあって、それらは私の文章よりもずっとわかりやすく面白いからです。私がわざわざその中に乗り込んでいっても居場所がほとんどないのは明らかなのですね。

でも、自分が東洋医学をやっている以上は、ブログの読者のみなさん、要するに友達のみんなに少しでも東洋医学を分かって欲しいなって思っていて、書かずにはいられない。そこで考えたら、教科書的な東洋医学の解説ではなくて、自分にとっての東洋医学の見方を書いたらいいんだ、という結論に至ったのです。

ここに書くのは東洋医学の常識的な考え方ではないかもしれません。異論反論あるかと思います。偏った考え方かもしれないということをご承知の上、読んでいただければ幸いです。


そんなわけで、第一回は「気」について書こうと思います。

気。
こんにち、気というとなんだかアヤシイイメージがつきまといます。
なぜでしょう。
それはね、実体として「気」を捕らえようとするからだと思うのです。
気なんてあるわけないじゃん。そういったら終わり。
「気なんてあるわけない」確かにそうなんだよ。それは目に見える形では存在しないし、写真にもレントゲンにもサーモグラフィーにも写らない。
じゃあ気は存在しないかって、私はそうは思わないんだ。
「気は実体ではない」と思うから。
気はエネルギーです。身体を動かすエネルギーであり、身体を衛る為のエネルギーであり。それは機能を総称したものであって、実体ではないんだなぁ。
だから、無理矢理にでも「気」を現代医学的に解明しようというなら、一部は酸素の働き、一部は赤血球の働き、一部はリンパ球の働き、一部はミトコンドリアの働き……。とキリがなくなってしまうはずです。注目すべきは、「酸素」ではなく、「酸素の”働き”」と書いた点です。気は実体ではなくて機能の総称、あるいは概念であると私は考えています。(それは東洋医学的な臓器の働きが実体ではなく機能を指していることから。その話は別の回にしましょう)
教科書的には、気は先天の気と後天の気に大きく分類され、その中に宗気、栄気、衛気、精気、穀氣などがあり、それぞれに定義があるのです。ここでは主題からそれてしまうので、気になる方は自分で調べてください。
だから決して、気というのは非科学的でアヤシイものではないのです。


話は少し変わりますが、実は鍼灸術というのは世界中に存在したという説があります。

1991年、ヨーロッパ・アルプスの氷河から発見された5200年前の男性の遺体「アイスマン」の腰、右膝、距骨關節、ふくらはぎなどには入れ墨の跡があった。
1947年、南シベリアのアルタイ山中、パジリク古墳から発掘された男性のミイラにも同様の箇所に入れ墨がみられた。
それらが針治療の跡であると推定されたことから、新石器時代にはヨーロッパからシベリアに掛けての広い大陸で、素朴な針治療が行われていたという仮説が浮上。
詳しい話は省略しますが、それがなぜ中国でだけ発達したかを考えると、針治療が気の思想と結びついたからだと考えることができます。
本当にざっくり言えば、経験的に集積された情報を説明するのに気という考え方が最も適していたから。針治療による効果を気によって説明することが出来て、気という概念を使って針治療を発達させることができた。そこにさらに東洋的な思想、陰陽、五行論などが乗っかってきて中国医学ができたと考えることができるのです。(あくまで簡単な説明です。実際は計り知れないほど複雑な過程があったのでしょう。)
気は抽象的な概念であるけれど、それは一つの哲学にもなりうるものです。

五臓六腑という言葉がありますね。
私たちは六臓六腑と考えることが多いのです。
人体には、六臓六腑に対応した気の流れが12本走っています。それを「経絡」といいます。経絡の上に「経穴」があります。経穴とはいわゆる「ツボ」のことです。(その辺の詳しい話もいずれ書きましょう)
ここで言いたいのは、気の流れに実体があるわけではないのです。あくまで経験の蓄積から帰納法的に見出されていったのが経絡だということです。経絡を解剖によって証明しようとした動きもありましたが(北朝鮮のキム・ボンハン学説)無意味なことです。
少し誤解を恐れない言い方をすれば、気も経絡もフィクションです。
現代医学では解明されていない様々な生命現象を説明する、そのための理論が気であり経絡であり、陰陽論や五行論であるのです。

少しは気について分かっていただけたかな。次回はこれをもとに五臓六腑について書こうかなと思います。

参考文献『日本鍼灸へのまなざし』松田博公 緑書房 および松田博公先生の授業資料より。
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by s-a-udade | 2012-04-21 00:24 | 東洋医学