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東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


by s-a-udade

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私と小笠原(2)

島に帰ってました。
というと、荒木って小笠原出身なの?と聞かれてしまうのだけど、荒木は奈良県橿原市出身です。
でも、小笠原には、行くと言うよりも、帰るという方がしっくりくる。私にとって、小笠原は帰るべき場所だから。

初めて小笠原に行ったのは、2008年、私が17歳の夏でした。そのときは高校三年生だった。
といっても、ほとんど学校を休みがちになっていた頃で、学校をサボっていったのだけど。
私が通っていた都立戸山高校は、いちおう名前だけは伝統校だし、都立とはいえ進学にも結構力を入れている学校だった。まぁ私も入学してしばらくは、戸山生らしく優等生っぽいことしてたわけです。
でもだんだん、まわりが受験モードになっていくにつれて、自分のなかでどんどん疑問が膨らんでいきました。
つまりいい大学に行くこと、勉強が出来る子になること、そういうことを、自分はしたいんだろうか?
なんか、違う気がした。偏差値で人間が測られて、それで大学に振り分けられて、それが人間の判断基準であるかのような。自分はそういう数字とか学歴で測らなくても、荒木駿その人なのだし。
そんなわけで、お受験の為にお勉強するのも馬鹿らしくなってきた。生きる事の本質と全然関係ないことを頭の中に詰め込んで、褒められているような人生を選びたくない。そんな訳で、大学には行くまいと決めた。

その時はギターに熱中して、時間さえあればギターを弾いていた。ギターに支えられて生きていたようなもんだ。ギターを本格的にやりたかった。
でも、それも結構いいところまで行って、やっぱりこれは違うと思ったんだ。実際NYに一ヶ月ほどいたのだが、仕事にして生きるべきものじゃない。そう感じた。
夢を失ったわけだ。

他にもちょっと、人との関わりのことで、いろいろあって、かなり落ち込んでいた時期だった。

そんなとき、ふと小笠原に行こう、と思った。

親には何も言わなかった。電波が届かなくなる直前に、短いメッセージだけを残して、旅だった。小さな鞄一つで。

船旅を終えて僕が出会ったのは、驚くほど青い海、美しい空、そしてなにより、美しい心を持った人々だった。ついたその日から、地元の人と外で飲んだくれていた。高校生なのに。
泊まったところもユースだったので、友達もたくさんできて、みんなかわいがってくれて、人との出会いにすごく恵まれていたとおもう。
とにかく見るものすべてが素晴らしかった。
これはきっと、島に呼ばれたんだと思った。本当に。
小笠原が自分に生きる希望を与えてくれた。

最初の滞在は、友達にお金を借りつつ、一ヶ月ほどでキャンセル待ちに空きが出ず、泣く泣く帰った。
親には叱られたり、いろんな人に迷惑を掛けたけれど、そんなことで気にするような以前の私ではなかった。
内地でなんとか、自分に忠実に生きていこう。誰がなんと言おうと、俺は俺なのだし。そう思えるようになった。


そんなことがあってから、二年間小笠原に通い詰めた。一階の滞在が、1~2ヶ月程度と、かなりの長期滞在。過ごし方は、基本的にのんびりして、気が向いたらドルフィンスイムに行ったり山に植物を見に行ったりする。人との出会いが大切。そう思っていた。
そんなことをしているうちに、東洋医学に出会ったりして。

今の学校に入ってからは、休みには海外に行った。小笠原は、いったんお休みして。
でも、どこにいても、やっぱり小笠原が恋しかった。泊まっていたユースの部屋とか、毎日休んでいた浜辺とか、飲み屋のカウンターとか。そこで暮らす人々。
小笠原はずっと、私にとってのふるさとだった。
こういう言い方が許されるなら、魂が生き返った場所。

学生最後の夏休みということで、今年の夏休み、二年ぶりくらいに小笠原に帰りました。
今回は今までと比べれば非常に短い旅だったけど、
懐かしい人と再会できたし、あたらしく出会った人とも、本当に仲良くなれて、楽しくて毎日が充実していた。
ふるさとに帰って良かった。
内地の生活はせわしなくて大変だけど、自分にとって小笠原という帰る場所があって。

小笠原の星空の下、大いなる自然のなかで感じたことは、
自分なんか本当にちっぽけな存在で、
天地宇宙のつながりのなかで、もっともっと大きな力に生かされていて。
自然の人間が対峙しているわけでもないし、人間が自然を管理することなんかできなくて。
自然への畏敬、といったら語弊があるが、大きな宇宙、大いなる自然の一部として自分がひとつのちいさな存在。
でもそのちいさな存在が、ここでまわりの人々と一緒になることで、輝いている。

自分の勝手な願いを押しつけるんじゃなくて、
この天地のつながりのなかで生きている自分が、
そのサイクルのなかで生きている。そう全身で感じることが、祈りであり、瞑想(meditation)である、そんなことを感じたのです。

黄帝内経の思想である、自然、天地宇宙のつながりのままに生きる事は、本来そんなにむずかしいことじゃなかったはず。
この物質文明があまりに生命の本質から遠ざかって肥大したから、そうやって生きるのが難しいように見えるだけで。


話がだんだんずれてしまったが、小笠原に帰って、もういちど生き返ったような気分です。
いつもの忙しない生活が始まったけど、心はすっきりしているし、充実しています。
命の洗濯をしてきた気分。

またかならず、ふるさとには帰る。それまで、たいへんだけど、がんばってみます。
by s-a-udade | 2012-08-27 23:52 | 日常