東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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普遍化する「未病」、誰もが病を抱える時代  〜「病気」「健康」のパラダイムを超えて〜

「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」
『老子』道徳経 第一章

(道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無名は天地の始め、有名は万物の母なり。故に常に無はもってその妙を観(み)んと欲し、常に有はもってその徼(きょう)を観んと欲す。この両者は同出にして名を異にす。同じく之を玄と謂(い)う。玄のまた玄衆妙の門なり。)


万物には名前がない。

まずは名前について考えよう。結論から言ってしまえば、名前は便宜上のものだ。
赤い果物がある。これをほかの食べられない木の実や、形や色の違うものと区別するためにリンゴと名づける。そんなもの。名前には本質が宿っていない。
中国という名前があるけど、決して実体としての中国があるのではないでしょう。国境の右と左で人間や物の本質が変わる訳ではないのだから。国境は勝手に人間が恣意的に、それも利害と恣意性によって引かれたものだから。東京ディズニーランドが千葉県にあるのもそういう理由だろう。本質的な東京なんてないのだし。そういえばアンゲロプロス監督は日本人は国境というものを理解してないと言ったらしい。そりゃそうだ、だってないんだもの。
同様に私の本質も荒木駿ではなくて、生きたこの私そのものにある。どこの学生とか鍼灸師とか高校中退とかそういうのはどうでもいいし、まして社会主義者とかそんなことで人間は判断できない。名刺の上に人生はない。
自然科学が発達して、名前の付け方も厳密になった。人間の直感と科学的な名前は衝突する。タラバガニはカニじゃないとか、ガラスは液体、「魚類」は存在しない、とか......(このへんは『自然を名づける』キャロル・キサク・ヨーン著が詳しい)。そんなんだからホテルの「食品偽装」みたいなことがおきる。鮭弁がニジマス弁当?
心に起こっている不思議な感情、よくわかんないけどみんながそれを愛だというから愛なんだろうきっと。それを他人と話すときに一般化された愛について話さざるを得ない。でもこの愛がなぜ他の人の愛と同じ前提で話されているのだろう。愛のあるべき形なんてものを論じるから、人は苦しむのだ。感情なんてみんな違うのに。


話が逸れました。

本題。病って何だろう。
まずは世界を席巻している現代西洋医学的に考えてみたら、病は検査値や身体所見に現れる。収縮期140mmHg、拡張期90mmHg以上なら高血圧だとか、うつ病の診断基準、慢性関節リウマチの診断基準...
当てはまらないものは除外されてしまう。どんなに痛みが辛くても、検査所見がないと診断名はつかない。対症療法の鎮痛剤くらいしか薬も出せない。安心もできないし。
逆に患者からしてみれば「先生これは何病でしょうか」って聞きたい心理もある。分からないと落ち着かないし、分かると(治ってなくても)安心できる。
不定愁訴が多いといままでの西洋医学だとやっかいだった。しょうがなく「自律神経失調症」とかって言ったりもしたけど、それは「分かりません」って言ってるのと同じだ。
一方で分からなかったものが新しい病として成立することもある。気分が落ち込み、人生を終わらせたくなって、便秘して、云々。どうやら脳のセロトニンが関与してるらしい。うつ病だ。とかね。
ですが、「過剰セックス障害」いわゆる性依存症とか、睡眠障害とか、診断基準があるけど曖昧。問題になるのは「自分で問題だと意識しているか」「生活に障害がでているか」というところで診断も治療も決まります。
私も軽い吃音(どもり)があるけども、これが重度だと言語障害だと言われるわけで。でもどこからが言語障害なのだろう。
じゃあHIV+は病だろうか。感染して、一度インフルエンザの様な症状が出て。そしたら何年も無症状だけど、治療の対象にはなる。これは病?
インフルエンザ感染はどこからが病だろう。ウィルスがどこまで増殖した時?検査キットで陽性となったとき?キットで陰性でもウィルスがある程度まで増えないと陰性って結果が出てしまう(偽陰性といいます)。

肩こり、というのがある。肩が凝るという表現は夏目漱石がはじめて使ったらしい(ホントかどうか知らない)。それまでは肩が重いとかそういう表現だったらしい。江戸時代は肩癖とか言ってた。けどもこの言葉なしに肩こりを意識できるだろうか?
脚が重い、だるいって症状が、たまにある人も多いと思う。いつもある人ももちろんいる。フランスではこれを"jambes lourdes"と言って、膨大な数の患者がいて、治療法もあるけど、フランス以外では報告されていない。言葉がないので。みんながその意識があっても、言葉にならないと「病識」にはならない。


何が言いたいかって、病は便宜上のもので、恣意的でもあるということ。(これは批判ではないですよ)
言葉なんて、そんなにいい奴じゃないのだ。


ところで余談になるが、精神医療を批判する人の中にはこの病と言葉の曖昧さを、知らないのか敢えて悪用してるのか知らないが、「恣意的に病名を付けて薬を売ろうとしている」みたいな人もいるし、「精神障害なんて存在しない」と言う人もいる。脳、神経系や発達の問題を"こころ"という曖昧でナイーブな(だと思われている)問題にすり替えているようにしか、私には見えない。精神医療もそれなりにおかしいけども、それを外側にいて悪い面だけを見て批判ばかりしている人たちもそれ以上におかしいと私は思う

で、東洋医学で考えたいと思います。もちろん東洋医学には「病」ということばはある。当然です。
「未病」という言葉を聞いた人も多いと思う。養命酒のCMなんかで有名になった。あれだと「なんとなく調子が悪い」って言われてるけど、厳密にはちょっと違う。未病とは字の通り「今だ病まざる」状態のこと。なんとなく調子が悪くても(西洋医学の病名はつかないが)病んでる訳だから。未病に基準なんかありません。病んで無ければみんな未病です。

中国で記録上最も古い医者は「扁鵲」という奴で、見ただけで病状が分かったけどそれじゃ信頼されないから脉を見る(東洋医学は脈の状態で病気を判断する)振りをしていたとか、いろんな伝説がある。
逸話の一つに。彼が文王に「お前は三兄弟の末っ子だというが、兄弟の内一番の名医は誰だ?」と聞かれ、「長男が一番の名医、私が一番劣ります」と答えた。王は「ではなぜ兄たちは有名じゃないのだ?」と聞いたところ、扁鵲は「一番上の兄は、病気になる前に、『こんな生活をしていたら病気になるから改めなさい』と言ってまわり、病気を事前に防いだ。だから有名じゃありません。次男は病気がまだ浅いうち、重症なる前に治してしまいます。だから有名じゃありません。私はもう死にかかった人を治してやります。だから有名になりました」と答えたんだとか(本当かどうか知らない)。

この逸話が伝えているのは病を事前に予防すること(現代的な衛生学でいう一次予防)や、重症化する前に治すこと(同じく二次予防)が大切だということ。つまり「未病」を治す、ということ。

極端な話、毎日野菜食べずに肉ばっかり食べてたらいずれ病気になるわけで、改めなきゃいけない。甘いものばっかり食べるのもよくない。栄養バランス偏るのもよくないし、ストレスが多くて発散できないのも、感情のバランスが取れないのもよくない。
だから全ての人が治療の対象になるわけです。特に今日では年間40兆円の医療費があって、削減しなきゃいけない中で、病をいかに予防するかってのが大切になっていくわけです。

「健康」とはなんでしょう。
WHOによれば、「健康とは、単に病気や虚弱ということではなく、肉体的、精神的、社会的(+spiritual)にも、すべてにおいて完全に良好(+Dynamic)な状態」(括弧内は提案が採決されたが保留状態)らしいけど、「すべてにおいて完全に良好な状態」だなんてあり得るだろうか?無理だろう。そんな人が一人でもいたら教えて欲しい。

まとめに入ろう。
「病」と「健康」の二元論で人間の身体を見ることにも限界があるとおもう(未病だって相対的だから絶対化はできない)。これからは予防医学が大切になるし、「すべての人が治療対象」ということになると思う。実際に東洋医学をやってる臨床家の多く(少なくとも私の周りの鍼灸師)はすでに全員が治療対象だと思っているだろう。
西洋医学だと基準とか数値であらわせないと病として扱えない。それも克服すべき問題で、実際最近では克服もされつつあるとおもう。
問題は現代人は数値化・診断できないものと付き合うのが苦手なこと。一部の頭の固い医者は特に。数字にできなくても、できないなりになんとか付き合ってみることが大切で、そこに患者さんの身体をゆっくり見ていくSlow Medicineや、代替医療(CAM:主流医学以外の医学。東洋医学や民間療法など)にも答えるヒントがあるはずだ。

逆説的だが、"誰もが病(の種)を抱えている"ことを理解することが、誰もが健康になることへの道となるだろう。
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by s-a-udade | 2014-03-01 18:52 | 東洋医学