東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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カテゴリ:日常( 39 )

バングラデシュで思ったこと

バングラデシュから帰国してそろそろ二週間が経つ。日常の引力の大きさには敵わず、結局は行く前と同じ生活を私は送っているのかもしれない。

帰ってきてから、よく友達に、どうだった、とか、楽しかった、とかって訊かれるのだけど、その度に答えにつまっている。
私は行って本当に良かったと思っているし、バングラデシュで過ごした時間はとても楽しかった。それは間違いない。
しかしそこで楽しかったよとか良かったよとひとつに答えたくない気持ちもある。
なぜなら私には得たものと後悔があったから。でもまだ、それを語るときではないと思っていた。
しかし語らぬまま今の思いが消え失せ記憶から遠く離れてしまうことを考えると、今日ここに記しておこう、と決めたのだ。

私はバングラデシュで、観光客としていろんな見所を探して見て回ったりとか、地元の人に声を掛けられて喋ったりとかして、随分と楽しい思いをさせてもらった。旅行者としては満足している。とても良い旅だったし、同じ趣味の人がいたらこの国を勧めたいと思う。それだけ楽しい時間を過ごすことができた。その理由を挙げればきりがないけれど、たとえば外国人にとても興味を持って接してくれるところ。鬱陶しいと思うところもあるけれど、概して親切で、少し恥ずかしがり屋だけどフレンドリーなバングラデシュ人は、少し会話を交わしただけでも楽しい時間を提供してくれる。滅茶苦茶な英語を駆使していろんな事を訊いてくる。私には楽しかった。それが嫌という人もたくさんいるだろうけれど。
町を離れればまだ自然は残っているし、車窓やバスから見る景色は水と緑に溢れている。日本にはないすばらしさである。
だけど、やはり、というか、町を歩けばストリートチルドレンがいて、物乞いのために手足を切り落とされた人々がいて、熱い油を掛けられて全身火傷した子供がいて。その裏にはレンタルチャイルドのビジネスやマフィアが絡んでいるという事実がある。私はそれを、旅立つ前に石井光太さんの書いたいくつかの本で読んでいた。だからこそ彼らを直接見て、その現状について考えなければならなかった。
そうはいっても、バングラデシュに着いてしばらくは、群れるストリートチルドレンの、そのかすれた声や汚い身なりやしつこさを酷く不快に思い追い払ったものであった。
しかし、彼らはそうして何とか誰かにお金を恵んでもらって、やっと一日分の食事にありつけるかありつけないかのギリギリの生活を送っているのだ。もし私がお金を払わなければその日の食事を摂ることができず飢えるかもしれないし、女の子は一日の食事の為に身体を売らなければならないかもしれない。一日生き延びられたとして、その一日がその人たちにとって何のためになるのか私には分からないし、あるいは辛い人生を徒に伸ばすだけになるのかもしれない。だけど私は、もし一日生き延びられたとして、その次の一日で世界が変わったら、と期待せずにはいられなかった。彼らが明るい未来を見ることができるなら、一日でも生き延びてほしい、あるいはその希望を持って少しでも長く生きて欲しいと思った。
バングラデシュの人口は1億5000万人。そのうちの約半数は一日に1.25ドル以下で生活しているのだという。もちろんその中には一日に0.5ドル以下で生活している人も含まれている。贅沢を言わなければ食事など一食20円くらいでできてしまうのである。私の恵んでやる5円が、私にとって多少の金額でも彼らにとっては一日の食事にありつけるかどうか、本当に大きな金額なのだ。それを、不快だとか愉快だとかって追い払って見捨ててケチってしまっていいのか。私はその行動を酷く羞じて後悔した。私に救える命があったのを見捨てたのだ。たんに一時の不愉快だと思う醜い感情のために。自らの偽りの快適さのために。そんな小さなお金、小さな事をケチっている人間が世界を変える人間になどなれるわけがない。見捨てる代わりに、より多くの人を救えるなら、見捨てたかもしれない。でも私が見捨てる代わりに得た物などない。ただいなくなってくれて良かったという単純で卑劣極まりない感情だけである。確かにこの状況を変えなければいけないとおもう。変える事に比べたら恵んでやることなどごくごく小さな事だ。だけど今私にできることなど、恵んでやる以外にない。他にもっと大きな事をできる人間だったなら、私は・・・・。

バングラデシュはかつてアジア最貧国と言われた。ジョンレノンなどによる救済コンサートが行われたりだとか、先進国やNGOの支援を受けている。
日本もバングラデシュには多額の支援をしてきた。そのお金で学校が建ち、病院が建った。(病院に最新の設備があるが使える医者を育てる環境がないという批判は、今回の話題には直接関係ないので無視する)そして高級なホテルが建ったりとか、町が整備されたりとか、国民の生活のレベルが上がったりとか、道路ができたりとか。様々な恩恵があった。
でも一方で、外国人がいるような高級住宅街にストリートチルドレンがいて、彼らに喜捨を求めたりとか、そういう事実は消すことはできない。最下層は最下層から脱する事はできない。その裏にはマフィアがいて、マフィアに頼ることしかできない悲惨な現実もあり、マフィアと物乞いだって持ちつ持たれつの関係をするほど彼らが救えない現状にあるという事実もある。這い上がろうとしても落ちていくばかりである。まさに蟻地獄のような生き様である。
日本はバングラデシュに今までいろんな支援をしてきたけれど、残念ながらそういった最貧困層に属する人達を救った訳ではない。ある程度の生き方ができている人達の、全体のレベルを上げただけに過ぎない。

そして私もそれを解決する方法を思いつかない無力な人間である。

帰国してから、折に触れてはどうしたら変えられるのか、救えるのだろうかとずっと考えているが、未だに答えは出ない。まだ私には知っていることが少なすぎるのも一因だし、単に無能な人間であることも災いしている。
こんなとき、チェだったらどうするんだろうか。チェだったら、この現状を見てどうしようと思うんだろうか。
ゲバラさん、あなただったらどうするんですか、と訊きたい。
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by s-a-udade | 2011-08-29 23:18 | 日常

出雲大社 御本殿大屋根特別拝観

今日、出雲大社の御本殿の大屋根特別拝観に行ってきました

出雲大社は、現在「平成の大遷宮」のさなか。
御本殿の屋根を葺き替え、古くて駄目になった柱を取り替え、御本殿を綺麗にして、むこう六十年間の神様のお住まいとする工事です。
そのあいだ、神様、この神社に祀られているのは大国主命ですが、御仮殿にいらっしゃいます。
普段は御本殿は神様がいらっしゃるので出雲大社の神主以外は立ち入ることができません。六十年に一度の遷宮こそが、我々一般プープルが立ち入るチャンスなのです。
この平成の大遷宮、平成二十年にはじまり、平成二十五年五月十日に終わるまで、何度かの特別拝観が行われています。今回は、その大屋根の葺き替えを見学する機会だったのですが、これが想像していた以上に複雑なものなのです。
大屋根の外側は、檜皮葺になっています。檜の皮で葺いてあるということです。檜皮は、出雲大社では二尺五寸から四尺の四種類を使っています。新しく葺き替えるために用意された檜皮は、なんと六四万枚。それを職人さんがひとつひとつ、手作業で葺いているのです。竹の釘を使っています。そして、古くなって外された檜皮の総重量は、なんと50トンあまり。
現在の御本殿は、延享元年(1744年)に作られたものですが、檜皮の内側の、木の組み方もその当初から変わっていません。しかし驚くほど考えられて設計されているのです。また、江戸期の職人が書いたと思われる大黒様の絵などが今回の大遷宮で見つかっており、なかなか興味深いものとなりました。

大屋根特別拝観は日曜日まで行われています。私は事前申し込みでしたが、当日整理券でも十分に入場できそうでした。
Tシャツやジーンズなどの格好では拝観できず、襟付きシャツや長ズボン、長スカートでの入場が求められます。

最後に六十年間、神様の住処を守り続けた檜皮をいただきました。お守りとして使わせていただきます。
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by s-a-udade | 2011-08-18 21:52 | 日常

バングラデシュ大使館に行ってきました。

ツーリストビザ申請のため、目黒にあるバングラデシュ大使館に行ってきました。
学校の授業が10時からなので、その前に・・・ということで、受け付け開始の朝九時を狙って行ってきました。


しかーし!
西武線が急病人の対応で遅れ、山手線もドア点検とやらで原宿駅でしばし停車・・・・。本当は8時半ごろに目黒駅に着いているはずだったのになぁ・・・。
目黒駅に着いたのは8時45分ごろ。
駅の案内板に、「バングラデシュ人民共和国大使館」の表示を探したのですが・・・・ない!!
とりあえず中央改札を出るも、西口に行くべきか東口に行くべきか・・?どこにも答えは書いていないのである。
仕方なく携帯で調べ、駅から目黒通りを西側に行けばいいと判明。

つまり、中央改札→西口→目黒通り。
西口を出て左にある大きな通りが目黒通りです。これをずーっと進んでいきます。途中に商店街や神社があり目黒川や山手通りなんかと交叉します。目黒側沿いにはなにやら大きなお城がありますが良い子は気にしてはいけません。
バスで行かれる方は、目黒駅西口出て左、目黒通り沿いのバス停から出ている黒06系統、(元競馬場・祐天寺駅経由)三軒茶屋行きのバスで大塚山下車。西口出て右のバス停から出る三軒茶屋行きだと一つ前の元競馬場にしか行きません。
さて徒歩の方は、目黒通りを進み、「元競馬場」の交差点を右折します。ここまでくると親切に案内が出ていますが見落とすおそれあり。300メートルほど歩くと、「大塚山」のバス停がありますので、その次の角を左にまがって二軒目が大使館です。(一軒目もそれっぽい建物ですが、たぶん大使公邸でしょう。)
勇気を出してドアを開けると、右にカウンター、正面に記入台があります。ただし申請書はネットでダウンロードできるので、書いてから行くのがいいでしょう。
職員はおそろしく無愛想で、一言も交わさずに申請が終了。引換券を無言で突き出されました。
ちなみに、申請用の写真は縦横37mm四方でなければいけないのですが、幅40mmとかで撮れる機械って少ないので写真屋さんにお願いすることになるかもしれません。
でも私は、30mm×40mmの写真を、左右3mmぐらいずつ余白を足して切り取って37mmにして提出しましたが、特になにも言われませんでした。
帰りはおとなしくバスで駅まで帰り、なんとか授業開始に間に合ったのであります。

バングラデシュ人民共和国大使館
目黒区目黒4-15-15
申請時間9:00-11:30
受取 申請の翌営業日以降の15:00-16:00
申請に必要なもの
・顔写真 縦横37mm 三枚
・パスポート 有効期間が残り6ヶ月以上、3ページ以上余白があることが望ましい。
・申請書類 コピーが必要とネットでありましたが、私は一枚だけで何も言われませんでした。 ここからダウンロードできます。
・勇気と物怖じしない心
郵送での申請は不可。代理人でも申請可能だが、申請書には本人の直筆の署名が必要。申請料はかかりません。

以上だと思います。お役に立てれば光栄です。


月曜日に受取にいってきまーす。
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by s-a-udade | 2011-07-23 00:33 | 日常

ON"DOKU"劇場

私の友人が出演した、ON"DOKU"劇場を見に行ってきました。

芝居というわけでもなく、特に身体や道具で演技しているのでもないのですが、単に朗読とは言い切れないような舞台でした。それだけ声や話し方が問われるのでしょう。

私は演劇については素人もいいところというか、ほとんど見たこともないので、何も言えないのだけれど・・・。
最近はテレビや映画を見ていても、演技している配役を演技しているというか・・・。
演技の演技とでもいうべきか。
いやいや、説明になってないか。
一言でいうと、芝居がかっている。
若くてタレントや歌手出身の方なんかは特に顕著ですね・・・・。
もちろんそうじゃない人もたくさんいらっしゃいますけども。

今回見てきた舞台ですけど、何人かの役者さんは本当に芝居ができているなぁと思わざるを得ない素晴らしいものでした。芝居がかってないというか、役になりきっているというと陳腐な言い方だけれども、思わず共感してしまうような。

もうテレビドラマを見なくなって久しいけれども、その理由には、こっちが見ていて恥ずかしくなるくらい芝居がかっていたりとか、いかにも見ていて「これは芝居をやってます!」という観が漂っていて。外国の映画だとそんなことはあんまりないんだけどなぁ。あとは、いかにも「ね?感動するでしょ?」って言わせているような。なんかむずむずしてきます。

今日見せていただいた、才能ある役者さんが日本の芸能を盛り上げてくださることを心から望みます。
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by s-a-udade | 2011-07-07 22:55 | 日常

私と小笠原

世界自然遺産、小笠原。

今では俄に、誰もが知る島になってしまいましたね・・・・。

私が初めて小笠原に行ったのは17歳、高校三年生の時でした。高校生といっても、もうその頃にはほとんど学校には顔を出さなくなってしまっていて、ただのプーに近かったのですが。
夢を失い、恋も失い、やる気も何もなくて、人生を悲観して、ただ旅に出たくなってたどり着いたのが小笠原でした。どうして小笠原に行こうと思い立ったのか、全然きっかけと思えるようなことは何もなく、ただ沖縄じゃなくて小笠原に行こうと思い立ったのです。あれは島に呼ばれたのだな、と思いました。
親には何も言わずに、ただ携帯の電波が届かなくなる直前にメールだけを入れて、どこにいるとも言わずに。ビジネスマンが1,2泊の出張に使うような鞄を一つだけ持って、おがさわら丸に乗ったのです。

そして、小笠原に着いた。

来てしまった、という感じで、到着した午後、特にすることもないので海を眺めてボケッとしていたら、おじさんが声を掛けてきた。
船で見たよ。一緒に飲もうよ。
ーいや、まだ高校生なんで。
この島じゃそんなの誰も気にしねぇよ。

そんなわけで、そのおじさん(おがさわら丸で働いている人でした)とその友達や同僚と、堤防で缶ビールやらチューハイを乾杯したのであります。次の日は朝九時から夜十一時まで飲み、またある日は遠くの海岸まで大人数で遊びに行ったり、またある日は12時間バーベキューをやったり、それはそれは楽しい日々を送ったのです。
傷ついた心も、そのうち癒され、最高の生活を満喫するようになったのです。
ユースホステルに泊まっていたので、旅仲間には困らなかったし、みんな私を可愛がってくれたし、本当に楽しかった。
人生でここまで楽しかった時間はなかった。
これは言葉にできない体験でした。

でも帰らなければならない時というのは、必ずやってくるものです。当初は三航海(船が週に一便なので、滞在期間は航海の数で決まる)の滞在の予定だったのですが、あまりに素晴らしいので延泊して、結局一ヶ月近く滞在してしまった。でも8月になるとベットは満室で、キャンセルも出ず、泣く泣く内地に帰ったのでした。

あれだけ楽しい日々を過ごしたのだから、と思っていたけれど、内地帰るとやはり東京はつまらない。日焼けの肌が白く戻るのにつれて、表情もまた硬くなっていく。再び夢を失ったのです。そうして高校を辞めた。

その後、お金を貯めては小笠原に帰る(行く、というのではなく、帰る、という感覚です。帰るとおかえりなさいと言われる。)というのを一年続けました。そうしていくうちに、徐々に夢を取り戻し、元気も取り戻し、専門学校に入学することを決めるまでに至ったのです。
撮り貯めた写真で、小笠原写真展を開催もしました。(ウェブサイトに載せている写真ではないですよ)

理想は、年に10ヶ月働いて、残りの二ヶ月を小笠原で過ごすことかなぁ。

そんな訳で、最近俄に脚光を浴びている小笠原を見ると、意中の人がAKB48にでも入ってしまったかのような寂しさというか、そんな思いを抱くのです。
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by s-a-udade | 2011-06-29 23:14 | 日常

もともと日本がだめだったんだ。人間がだめなんだ。 (世界の強大なチラシの裏側 6)

震災から、気づいたら三ヶ月が経っていた。
震災の一週間後に日本を発ち、3週間して帰ってきた時、いつも歩く新宿の町で、どこか知らない町を彷徨っているような奇妙な違和感に包まれた気がしたのを鮮明に覚えている。ただ暗い、という問題だけではなくて、そこを歩く人や町の雰囲気、空気の匂いなんかが、いつもの新宿とは明らかに違っていた。

今ではその新宿にすっかり慣れてしまった。異質な新宿の町になれたのか、新宿がいつのまにか元に戻ってしまったのかは分からないけれど。

震災の被害の大きさに反して、日本人のマナーや行動には世界のメディアから賞賛が上がったらしい。確かに地震の規模に対して被害も混乱も少なかったのかもしれない。でも私にはそれが日本人の悪い癖の結果にすぎないように思え、煮え切らない気持ちを抱いている。

政治は迷走している。当たり前だ。「想定外」の出来事なんですもの。
そんなときでさえ、与野党は協力さえしていない。地震の直後のショックが大きかった時期だけだ。結局東京は被災しなかったのだから、喉元過ぎれば熱さを忘れ、政治遊びは再開してしまうのだ。実にくだらない。政治ってそもそも、そういうものだったのか?  こんなときに総理が辞めるとかって言ってる場合かよ。被災地では家はまだ、流されたまま建っていないし、放射線は出たままだし。そんなときに党と党の争いの為にまた混乱を招く必要があるのだろうか。
日本人は、いつまで経っても懲りていない。なにか問題があると、首相に辞めろといい、変わってもすぐに難癖つけて、辞めろといい、を繰り返してきた。もともと熱しやすくて冷めやすいんだもの。みんなが辞めろって言えば自分もそんな気分になってくるよね?
だけど、結局、首相が替わろうと、良いことなんてほとんどない。目先の宣伝文句に釣られて選挙は投票するけれど、やってることが変わらないもの。日本では議員立法なんてほとんどなくて、官僚が法律つくってるから。官僚が作る法律っていうのは、大体が日本を動かすために必要なことであって、暮らしを向上させるためのものではない。議員が率先して法律を作らなくて、どうして選挙だけでこの国が変わると言えるのだろう。小泉さんの時は郵政民営化だとかいって票を取っていたけど、政治は郵政だけではないし、小沢さんのときも政権交代だと言って。でも政権交代というのは、手段であって目的ではない。政権交代してしまえば良くなると思ってしまうのは安直だろう。実際にあたらしい政権がどんなことをするのかが問題なのだから。
で、今も菅さんはいろいろ言われているけれど、それって本当に菅さんの責任なの?と私は問いたい。別に菅さんを個人的に応援してる訳ではないですよ。谷垣さんも石原幹事長さんも官政権の無能さを批判しているけれど、菅首相が辞めたら解決する話でもなければ、菅首相一人で物事を決めて進めている訳でもないと思うのですが。今動いている原発を作ったとき政権を握っていたのも、今の原子力政策を作ってきたのも自民党なんだけど、そっちの方には何の批判もないというのが不思議なものです。
新しい首相に期待しては失望して、の繰り返しを続けても日本人というのは懲りていないようです。この国民には、反省というのが足りていないようです。自分が期待した政治家が失敗しても、自分は失望して批判するだけ。そうしてまた目先の目新しさに押されて新しい首相に期待して。

東電に対する批判も、同じようなものだと言えるのではないでしょうか。
確かに想定外だった。想定していなかった。
かつてのチェルノブイリに関して近日の記事を見てみると、ソ連の杜撰な管理が問題だという、あたかもロシア人が馬鹿だったから、みたいな記述の仕方がされていてあほらしい。それだったらスリーマイル島の事故を起こしたアメリカ人よりロシア人が馬鹿だったから事故になったのだろうか。スリーマイル島より大規模な事故を起こした日本人はアメリカ人より馬鹿だから福島原発がメルトダウンしたのか?今だ原発事故を起こしていない韓国やフランスでは、韓国人やフランス人が優秀だから事故を起こしていないというのだろうか。
人間が原子力を見つけてしまった以上は、きっと人間は原子力を使わないで放っておく訳にはいかないのだ。非常に高いエネルギーが得られる新しい技術を、どうして諦めようというのだろう。
きっと歴史のなかで、人間は何度も失敗を繰り返して前進してきた。家が崩れたり、ボイラーが爆発したりするくらいのことでは大規模な事故には至らない。でもこれほど大規模なエネルギーとなると、そうはいかない。歴史の前進に沿って人間の使うエネルギーの量は増えてきた。使うエネルギーが増えると言うことは、事故の時にそれだけ大きなリスクを背負うということなのだ。初めて馬に乗った人間だって、落馬くらいしただろう。原発事故も、その落馬と同じようなものだ。だから、人間に手や機械で止められない程度の災害が予測されるようなエネルギーの利用なんて、最初から無理だったのだ。
東電の管理に問題があったとしても、東電が悪いと言い切れるだろうか。私はむしろ、危険性を見抜けなかった、あるいは見抜いても推し進めた人類の過ちだと思うのだけど。

産業革命以降、もの凄い勢いで技術は進歩してきたけれど、それに人間のキャパシティが追いついているのか疑問だ。産業革命は、人間が使うエネルギーを、人間の手で生み出したり止めたりできないものにしてしまったのではないか。
そうして飽食の時代が来た。日本はどうにか戦後の復興で、技術立国をして富を得た。身近にあらゆるものが揃っているのが当たり前の時代だ。適当に仕事していれば貧しくても飢えることはまずないし、金さえ出せば何でも手に入る。むしろ、手に入らない物の方に、重きを置いて生活するようになってしまった。
その一方、途上国で一日一ドル以下で生活する12億人の人なんかがしわ寄せを食らっていることなんか忘れて。完全に誰もが享受でき、平等で絶対に安全な富というのは、今のところ存在していないのだ。

今まで、努力しなくても何とかなってきた。困難なんていうものがなかったから、現代人は混乱を知らないのだ。だから混乱を起こす術も知らないだけの話だったのだ。東京で電車が止まり、電気が止まっても略奪や暴動なんてなかったし、デモだってお遊び程度の小規模なものだった。このデモも、首相を弾劾する行為に似て、一つの悪者(=原発)を作って批判して満足しているだけのものだけども。

日本人、確かにマナーは良いかもしれない。だけどそれは、相手を思いやってのことというよりは、狭くて逃げ場のない島国や社会を無難に乗り越えて行くための手段として発達したことだったのかもしれない。
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by s-a-udade | 2011-06-13 22:51 | 日常

写真展終了

さてこの週末の二日間で実施していた写真展が無事に終了しました。
昨日は良かったのですが今日はあいにくの悪天候で、来ると言っていた人達も来られなくなってしまった方もいて、閑散としていました。

カフェで開催しているので、写真を見に来た方にもお茶していっていただいています。逆にただ単にカフェに寄ってくださった方にも、写真を見ていただくことになります。でも私はシャイで人見知りなので、まさか「写真展やってますので見ていってください」なんて言えないのだけど・・・・。カフェの方が気を遣って紹介してくださったりして、そんな方達に写真を褒めていただくのが一番嬉しいですね。
夏休みはバングラデシュに行く計画を立てていますので、次回は秋に開催することになるのでしょうか。まだわかりません。

最近気づいたのだけど、旅に出ているあいだは人見知りなんか全然しなくて、自分からも積極的に話しかけるのだけど、日本や東京に帰ってくると、旅に出る前よりもずっと人見知りになってしまうので、旅を重ねるごとに人見知りが激しくなってしまうのです。どういうわけなんでしょうか。日本にいるとどうしても知らない人に話しかけるのに勇気がいるのですね。

そういえば最近ブログの更新が滞りがちだったのですが、忙しくて書くことがないのです・・・・。というのは言い訳に過ぎないのかな。でもとりあえずそういうことなんですね。えぇ。

今回の写真展で好評だったキューバ旅行記、アップしておきます。
こちら(PDFファイル:9.3MB 重いです)

それではまた。
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by s-a-udade | 2011-05-29 21:14 | 日常

彼が死んだって何も変わらない

ビンラディン氏が米軍の部隊に殺害されたというニュース。その信憑性はともかくして、私はアメリカ合衆国に対しての怒りが収まらない。

だからといってアルカイーダを支持するつもりも毛頭ない。すこしばかり同情するけれど。

"JUSTICE HAS BEEN DONE"
このjusticeとは一体何のことだ?
イスラーム過激派の人たちだって、自分たちを正義だと思ってやっているではないか。
国や宗教や人種や境遇や家柄や、数え切れないだけの要素によって正義がそれぞれ定義されているというのに、アメリカ合衆国の言い分だと正義は地球上にただ一つのようだ。それを達成すべく人を殺めるのも正義らしい。
お祭りムードのアメリカ合衆国の映像が流れてくる。
彼は確かにテロ組織のリーダーだった訳だけれど、彼を殺したからって何が変わるのか?アルカイーダが消滅し、世界が平和になるのか?
だとするなら、百歩譲って、仕方ないと言えるかもしれない。

たとえばもし、アメリカ合衆国の大統領のオバマ氏がアルカイーダに殺されたとして。
アメリカ合衆国は「テロとの戦い」をやめるのか?
結局、アメリカ合衆国にしろ、イスラーム過激派にしろ、血を血で洗うことしかしていないじゃないか。双方がそれを正義だと思ってやっている。この戦争に終わりは見えない。もしアルカイーダが弱体化するにしても、それが本当に正義であり、平和なのか。
アメリカ合衆国流の正義を、その国以外のどこが求めているというのか。あるいはイスラーム過激派流の正義を。
世界に存在する人の数だけ正義はあって、自分の正義こそが絶対の正義だと考えるのは馬鹿げている。ムカつく奴を殺すのが正義なのか。やられたからやり返すだけの小学生の喧嘩みたいなことが正義なのか。
大統領や政府の人間が偉そうにふんぞり返ってる一方で中東で戦争の犠牲者が出ているのが正義なのか?
正義などではなく、単なる帝国主義でしかない。こんな戦争は無意味だ。共存するよりほかに道があるのなら、教えてほしいものである・・・・・。
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by s-a-udade | 2011-05-02 23:18 | 日常

人見知り。

突然ですが、私は(たぶん)自他共に認める人見知りなんです。バイト先には何十人も仲間がいるけど、話したことがない人とか苦手な人もたくさんいて、困ってる。というか困られている。

先だって池内紀のエッセイを読んでいたら、あとがきにこんな文章をみつけた。

「ひとり旅はさびしくない?」なんて問われるが、とんでもない、ひとりでいるときほど人と親しくまじわっていることはない。

好きなことをする以上に、「いやなことはなるたけしない」をモットーにしてきたような気がする。いつも人恋しい思いがあるので、わざとそっけなく、へだたりをとって生きている。


うーん。この通りなんだよなぁ。人恋しいのにへだたりをとって生きている。この理由は、分からない人にはわからないだろうけど、説明しろと言われても上手く説明できないのだ。
旅先とかじゃ全然人見知りしないから、たぶんなにかきっかけか何かがあればしなくなるんでしょうけど。
それでもあえて人と関わらないようにしている。これ、人見知りと呼んでいいものか。

バイト先の友達には、荒木が愛想よかったら最強(にモテる)と言われました。まぁそんなことはないでしょうけど。
誰とでも仲良くしてしまったら、人恋しさが満たされてるかりそめの気持ちに満足してしまうのではないかと、恐ろしいのは確か。人恋しくても、誰とでも、ではなくて、少しだけでもちゃんと自分を受け止めてくれる人を大切に思いたいんです。きっと。
簡単に心を開かないのは、簡単に自分をさらけ出して傷つくのが怖いから。
そうできない人とは、また表面上は仲良くするなり、できる限り関わらないようにして、生きてるのではないかなぁ。
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by s-a-udade | 2011-04-29 22:36 | 日常

キューバの社会主義とゲバラと

昨日、少し書いたけれど。

キューバは社会主義国だった。いや、いまもそうなんだけど。
キューバの社会主義が崩壊する前に訪れることができてよかった。

いま、キューバの社会主義も崩れつつあります。
まさか社会主義国でチップなんて払うことないでしょ。
そう思っていました。

キューバは観光立国を進めています。すでにヨーロッパではカリブの観光地として名が知られて久しい。
だから欧米の観光客もたくさん入ってくると同時に、外貨や、欧米の習慣、価値観、常識などがキューバに輸入されていきました。

もともとキューバには通貨は一つしかなかった。その後外貨として米ドルが流通するようになり、それに変わって今は兌換ペソ(CUC)が流通しています。一方でキューバ国民が以前から使っていた通貨人民ペソ(MN)は1CUCに対して24MNという交換比率です。
国民が国から貰える給料も、外貨に換算してしまえばーーたとえば日本円なら2000円弱ーーほんのわずかなお金なのです。

外国人が外貨を持ち込む前ならそれだけのお金で充分だった。それ以上は手に入らないのだから満足して生活していた。

でも、いま。

たとえば道案内して、1CUCお礼に貰えば、国から貰える一日分の給料よりも多いんです。
街にはワンダラー、ワンダラーと1$をせがむ人があふれています。子供や老人だけでなく。

ぼろい服を着て、買うお金がないから恵んで欲しいという人もいます。本当なのかどうか、私には分かりませんでした。
でも、それで外国人からお金を貰った方が金額的には普通に働くよりも儲かる。

カンクンで出会った日本からの若い旅行者。キューバからの帰りのフライトで一緒だったのですが、彼は言いました。
そこで一ドル渡してしまったら、彼らの誇りが失われてしまうと。

そうして金持ってる外国人にたかって貰っているばっかりでは、キューバ人はいつまで経っても自立できないし、お金のありがたみも分からなくなってしまう。
そうして本当に金が第一、金が全ての社会になってしまうかもしれない。

キューバでは民宿、タクシーなど、一部の自営業が認められるようになりました。
税金は高いけれど、公式な仕事として外貨収入が得られるようになったのです。

一方で外貨収入のないキューバ人と、外貨収入のあるキューバ人の格差は開いていくばかり。
常に平等を目指すキューバには大問題でしょう。

私もタカリに30CUC持って行かれました。そのときの所持金全てです。

もちろん、キューバ人にはそんなことをしない人の方が多いんですよ。圧倒的に多い。

でも、たとえ一部であったとしても。
ろくに働かずに金を貰っている人がいて。
税金を納めつつそれなりにいい水準の生活をしている人もいて。
一方で観光客のいない田舎ではせっせと働いて基準通りの給料を受け取る人もいて。

都市であっても、もちろん、つつましく生活している人もいます。子供には外国人にお金をせがんだりしないように教育している人もいます。

お金を取られたとき、海を見て泣きました。
悔しかった。
お金がなくなったことに対してじゃなくて。
もっと大きな何かにたいして。
これがチェの望んだ革命の結果なのか、と。
結局世界は、帝国の資本主義に呑み込まれていってしまっている。
そして彼らは、お金があっても幸せになれる訳じゃないことを知らない。
人にたかってお金貰って、贅沢していくことばかりを覚えていく。

一つの国で革命が起きても、やっぱり世界はどこかで繋がっているんです。
価値観もお金も、いろんなところを流れ、行ったり来たりしている。
でも結局は大きい何かに支配されてしまうのかなぁ。

だから、キューバの革命にかんして言えば、私は少しがっかりした。
でもそれ以上に心の中に大きく残っていることは、キューバの人たちです。
わずかな金のことばかり考えてる人と、
たくさんのあったかくてフレンドリーな人たちと。
どこの世界にも悪い人はいるよね。
でもそれは、堤防の蟠りみたいなもので、
広い海の水は澄んでいる。

あちらこちらで、チェの肖像は目にしました。
日本では上の方見て、凛々しい顔して、いかにも革命家、ゲリラ兵士、っていう感じのものばっかりだけど。
一方で葉巻咥えて笑っているゲバラ。
彼の笑顔がすばらしい。
フィデルとかの仲間と一緒に笑っている写真。
いい生き方している人は、総じて笑顔が素敵だ。
彼はそういうところに、人を引きつける魅力があったんじゃないのかなぁ。
だから現代に彼がいたとしても、外国人に一ドルせがんだりとか、そんなことは・・・・・。

時代はまた、もう一人のあたらしいチェ・ゲバラを求めているのかもしれません。


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by s-a-udade | 2011-04-10 13:40 | 日常