東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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私と小笠原

世界自然遺産、小笠原。

今では俄に、誰もが知る島になってしまいましたね・・・・。

私が初めて小笠原に行ったのは17歳、高校三年生の時でした。高校生といっても、もうその頃にはほとんど学校には顔を出さなくなってしまっていて、ただのプーに近かったのですが。
夢を失い、恋も失い、やる気も何もなくて、人生を悲観して、ただ旅に出たくなってたどり着いたのが小笠原でした。どうして小笠原に行こうと思い立ったのか、全然きっかけと思えるようなことは何もなく、ただ沖縄じゃなくて小笠原に行こうと思い立ったのです。あれは島に呼ばれたのだな、と思いました。
親には何も言わずに、ただ携帯の電波が届かなくなる直前にメールだけを入れて、どこにいるとも言わずに。ビジネスマンが1,2泊の出張に使うような鞄を一つだけ持って、おがさわら丸に乗ったのです。

そして、小笠原に着いた。

来てしまった、という感じで、到着した午後、特にすることもないので海を眺めてボケッとしていたら、おじさんが声を掛けてきた。
船で見たよ。一緒に飲もうよ。
ーいや、まだ高校生なんで。
この島じゃそんなの誰も気にしねぇよ。

そんなわけで、そのおじさん(おがさわら丸で働いている人でした)とその友達や同僚と、堤防で缶ビールやらチューハイを乾杯したのであります。次の日は朝九時から夜十一時まで飲み、またある日は遠くの海岸まで大人数で遊びに行ったり、またある日は12時間バーベキューをやったり、それはそれは楽しい日々を送ったのです。
傷ついた心も、そのうち癒され、最高の生活を満喫するようになったのです。
ユースホステルに泊まっていたので、旅仲間には困らなかったし、みんな私を可愛がってくれたし、本当に楽しかった。
人生でここまで楽しかった時間はなかった。
これは言葉にできない体験でした。

でも帰らなければならない時というのは、必ずやってくるものです。当初は三航海(船が週に一便なので、滞在期間は航海の数で決まる)の滞在の予定だったのですが、あまりに素晴らしいので延泊して、結局一ヶ月近く滞在してしまった。でも8月になるとベットは満室で、キャンセルも出ず、泣く泣く内地に帰ったのでした。

あれだけ楽しい日々を過ごしたのだから、と思っていたけれど、内地帰るとやはり東京はつまらない。日焼けの肌が白く戻るのにつれて、表情もまた硬くなっていく。再び夢を失ったのです。そうして高校を辞めた。

その後、お金を貯めては小笠原に帰る(行く、というのではなく、帰る、という感覚です。帰るとおかえりなさいと言われる。)というのを一年続けました。そうしていくうちに、徐々に夢を取り戻し、元気も取り戻し、専門学校に入学することを決めるまでに至ったのです。
撮り貯めた写真で、小笠原写真展を開催もしました。(ウェブサイトに載せている写真ではないですよ)

理想は、年に10ヶ月働いて、残りの二ヶ月を小笠原で過ごすことかなぁ。

そんな訳で、最近俄に脚光を浴びている小笠原を見ると、意中の人がAKB48にでも入ってしまったかのような寂しさというか、そんな思いを抱くのです。
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by s-a-udade | 2011-06-29 23:14 | 日常

もともと日本がだめだったんだ。人間がだめなんだ。 (世界の強大なチラシの裏側 6)

震災から、気づいたら三ヶ月が経っていた。
震災の一週間後に日本を発ち、3週間して帰ってきた時、いつも歩く新宿の町で、どこか知らない町を彷徨っているような奇妙な違和感に包まれた気がしたのを鮮明に覚えている。ただ暗い、という問題だけではなくて、そこを歩く人や町の雰囲気、空気の匂いなんかが、いつもの新宿とは明らかに違っていた。

今ではその新宿にすっかり慣れてしまった。異質な新宿の町になれたのか、新宿がいつのまにか元に戻ってしまったのかは分からないけれど。

震災の被害の大きさに反して、日本人のマナーや行動には世界のメディアから賞賛が上がったらしい。確かに地震の規模に対して被害も混乱も少なかったのかもしれない。でも私にはそれが日本人の悪い癖の結果にすぎないように思え、煮え切らない気持ちを抱いている。

政治は迷走している。当たり前だ。「想定外」の出来事なんですもの。
そんなときでさえ、与野党は協力さえしていない。地震の直後のショックが大きかった時期だけだ。結局東京は被災しなかったのだから、喉元過ぎれば熱さを忘れ、政治遊びは再開してしまうのだ。実にくだらない。政治ってそもそも、そういうものだったのか?  こんなときに総理が辞めるとかって言ってる場合かよ。被災地では家はまだ、流されたまま建っていないし、放射線は出たままだし。そんなときに党と党の争いの為にまた混乱を招く必要があるのだろうか。
日本人は、いつまで経っても懲りていない。なにか問題があると、首相に辞めろといい、変わってもすぐに難癖つけて、辞めろといい、を繰り返してきた。もともと熱しやすくて冷めやすいんだもの。みんなが辞めろって言えば自分もそんな気分になってくるよね?
だけど、結局、首相が替わろうと、良いことなんてほとんどない。目先の宣伝文句に釣られて選挙は投票するけれど、やってることが変わらないもの。日本では議員立法なんてほとんどなくて、官僚が法律つくってるから。官僚が作る法律っていうのは、大体が日本を動かすために必要なことであって、暮らしを向上させるためのものではない。議員が率先して法律を作らなくて、どうして選挙だけでこの国が変わると言えるのだろう。小泉さんの時は郵政民営化だとかいって票を取っていたけど、政治は郵政だけではないし、小沢さんのときも政権交代だと言って。でも政権交代というのは、手段であって目的ではない。政権交代してしまえば良くなると思ってしまうのは安直だろう。実際にあたらしい政権がどんなことをするのかが問題なのだから。
で、今も菅さんはいろいろ言われているけれど、それって本当に菅さんの責任なの?と私は問いたい。別に菅さんを個人的に応援してる訳ではないですよ。谷垣さんも石原幹事長さんも官政権の無能さを批判しているけれど、菅首相が辞めたら解決する話でもなければ、菅首相一人で物事を決めて進めている訳でもないと思うのですが。今動いている原発を作ったとき政権を握っていたのも、今の原子力政策を作ってきたのも自民党なんだけど、そっちの方には何の批判もないというのが不思議なものです。
新しい首相に期待しては失望して、の繰り返しを続けても日本人というのは懲りていないようです。この国民には、反省というのが足りていないようです。自分が期待した政治家が失敗しても、自分は失望して批判するだけ。そうしてまた目先の目新しさに押されて新しい首相に期待して。

東電に対する批判も、同じようなものだと言えるのではないでしょうか。
確かに想定外だった。想定していなかった。
かつてのチェルノブイリに関して近日の記事を見てみると、ソ連の杜撰な管理が問題だという、あたかもロシア人が馬鹿だったから、みたいな記述の仕方がされていてあほらしい。それだったらスリーマイル島の事故を起こしたアメリカ人よりロシア人が馬鹿だったから事故になったのだろうか。スリーマイル島より大規模な事故を起こした日本人はアメリカ人より馬鹿だから福島原発がメルトダウンしたのか?今だ原発事故を起こしていない韓国やフランスでは、韓国人やフランス人が優秀だから事故を起こしていないというのだろうか。
人間が原子力を見つけてしまった以上は、きっと人間は原子力を使わないで放っておく訳にはいかないのだ。非常に高いエネルギーが得られる新しい技術を、どうして諦めようというのだろう。
きっと歴史のなかで、人間は何度も失敗を繰り返して前進してきた。家が崩れたり、ボイラーが爆発したりするくらいのことでは大規模な事故には至らない。でもこれほど大規模なエネルギーとなると、そうはいかない。歴史の前進に沿って人間の使うエネルギーの量は増えてきた。使うエネルギーが増えると言うことは、事故の時にそれだけ大きなリスクを背負うということなのだ。初めて馬に乗った人間だって、落馬くらいしただろう。原発事故も、その落馬と同じようなものだ。だから、人間に手や機械で止められない程度の災害が予測されるようなエネルギーの利用なんて、最初から無理だったのだ。
東電の管理に問題があったとしても、東電が悪いと言い切れるだろうか。私はむしろ、危険性を見抜けなかった、あるいは見抜いても推し進めた人類の過ちだと思うのだけど。

産業革命以降、もの凄い勢いで技術は進歩してきたけれど、それに人間のキャパシティが追いついているのか疑問だ。産業革命は、人間が使うエネルギーを、人間の手で生み出したり止めたりできないものにしてしまったのではないか。
そうして飽食の時代が来た。日本はどうにか戦後の復興で、技術立国をして富を得た。身近にあらゆるものが揃っているのが当たり前の時代だ。適当に仕事していれば貧しくても飢えることはまずないし、金さえ出せば何でも手に入る。むしろ、手に入らない物の方に、重きを置いて生活するようになってしまった。
その一方、途上国で一日一ドル以下で生活する12億人の人なんかがしわ寄せを食らっていることなんか忘れて。完全に誰もが享受でき、平等で絶対に安全な富というのは、今のところ存在していないのだ。

今まで、努力しなくても何とかなってきた。困難なんていうものがなかったから、現代人は混乱を知らないのだ。だから混乱を起こす術も知らないだけの話だったのだ。東京で電車が止まり、電気が止まっても略奪や暴動なんてなかったし、デモだってお遊び程度の小規模なものだった。このデモも、首相を弾劾する行為に似て、一つの悪者(=原発)を作って批判して満足しているだけのものだけども。

日本人、確かにマナーは良いかもしれない。だけどそれは、相手を思いやってのことというよりは、狭くて逃げ場のない島国や社会を無難に乗り越えて行くための手段として発達したことだったのかもしれない。
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by s-a-udade | 2011-06-13 22:51 | 日常