東京の日常を表現していたブログですが、最近は東洋医学、文化、文明などについて思ったことを書き連ねています。


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池澤夏樹『氷山の南』を読んで思ったことなど

この本を手に入れたのは成田空港で、二週間のウズベキスタン旅行の最中に4回か5回は読んだ。いやそれ以上かな。

物語は一貫して文明批評、流動化した世界に対して、文明の終末の到来を予告するという『楽しい終末』以降作者が続けてた警告。
それを架空の新興宗教「アイシズム」を通して文明の病みを見るという内容。
南極の氷山を曳航して水資源として利用するプロジェクト、そこに密航した少年ジンと周囲の人物。
内容を語るためのブログではないので早速感想に行こう。

(私にとって)印象的だったシーンをいくつか。
まずは冒頭の部分。ジンが密航を自白し、船長達のもとに出たところ、ジンの台詞。
「ゲームがなぜつまらないか?閉鎖系の中での応答に過ぎないからです。全部人間が作ったシステムの中での冒険ごっこ。いわば右手と左手が争うような、延々と遠回りしても結局は元のところに戻るしかないような、不毛な営みです。」「全部が徒労。高校を出て、大学を出て、安定した生活を得て……そういうことぜんぶがゲームでありファンタジーであるようにぼくは思えた。だからそっちには行くまいと決めた。(中略)自分のこれからの人生を大事にしたいと思っています。だから不毛な方向へは足を踏み出したくない。ぼくの閉塞感を打ち破る方向があるはずで、できるならばそれは人間みんなの、この時代この惑星で暮らすみんなの閉塞感を打ち破るものにつながってほしい」
これは私が高校の頃に漠然と考えていたことと一緒で(もちろんこんなに明確にかつ論理的に考えていたわけではないが)、だから大学には進むまいと決めたし、そのあと高校にも行かなくなってしまった。それを後悔はしていないし、今でも間違ったことだとは思っていない。
社会の歯車なんていう悲観的な言い方もあるが、そうではなくて歯車をもって動いている社会そのものがどうも僕には不毛なことに思えた。その中で生きたとしても得られる物は限りなく少ないし、生きる事の本質に全く関係のないことに人生を費やすことが私には耐えかねるだろうと考えた。
賢治は言った。「諸君はこの時代に強いられ率いられて/奴隷のように忍従することを欲するか」「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変えよ」
そんなことを考えているときに出会ったのが東洋医学の世界だった。伝統というのは古いもののように思われるけれども、実はその中に無限の可能性があるのではないか、と思ったのだ。
日本に鍼灸術が渡って1500年、その中で日本では独自に鍼管という管を使った刺針技術、細い鍼、腹診などが生まれ発達した。伝統とは常に時代と環境の中で流動的であり、それらに合わせて変化され、新しい物が生まれては淘汰され、本当に価値のある物が残っていく。自分が百年後、千年後の伝統を作らなければ伝統の中にいるとは言えない、と思ったのだ。そっちの方にこそ、自分の可能性を開花される場があると。

もうひとつ。
ジンが友人ジムに呼ばれ、アボリジニの土地に行き、伝統音楽を聴いた後のジムの言葉。
「もう本気ってことはないんだ。だってみんな昔とは生き方が違うから。もちろん、ぜんぶが変わったのはこの大陸にイギリス人が来たからだ。簡単に言えば彼らはぼくたちアボリジニを軽蔑し、邪魔にし、隅に追いやり、殺した。文化を奪った。最近になってようやく少し認めるようになった。それは自分たちの生きかたが行き詰まったからだ。だけど彼らに学べるものなんて何もない。ぼくたちだって忘れかけているんだから。」「ある人が言った、白人たちがアボリジニを馬鹿にするのは、私たちが農夫じゃないからだって。(中略)だけど私たちはまずもって踊るものだ。(中略)でも、ぼくたちなんか踊る力もなくなってしまった。みんな本物じゃないんだ。」
私がウズベキスタンで驚いたのは、とにかく建築、美術、工芸のレベルが高いが、それが広く民衆の生活圏のレベルで浸透していること。
たとえばスザニという伝統工芸の壁掛け(刺繍)があり嫁入りの際に親族が手で刺繍して新しい家庭にわたすのだという。その模様の洗練されたさまと言ったら、本当に息を呑むようなもの。それが何百年も受け継がれていて、今なお発達し続けていて、それがどんな家庭にもあるというのが驚きだった。スザニはただ一つの例にすぎない。私はここに、伝統や文化のあるべき姿を見た気がしたのだ。

三つ目。ジンがアイシズムの聖地に偶然たどり着いたとき。
祈れない。みんなこんななんだろうか? たまたま自分の心が静かにならないというだけでなく、自分を離れて何かに向かって思いを投射することができない。絶対の存在に身を委ねることができない。
祈りって、勝手な思いや願いを神様に押しつけることじゃないだろう。この宝くじが当たりますようにって、そんなんじゃないだろう。自分なんか小さくて、向こうの方にずっと大きな誰かがいて、だから自分の心はいわば一時停止して向こうの大きな心に合流する。
信じるってそういうことだ。

先日、ニュースを漁っていたらこんな記事を見つけた。
血塗られたキリスト教徒狩りが始まった
21世紀に入って、時代が変わってしまった、と感じたのは、前の世紀の戦争はせいぜいイデオロギーの対立か権利のための争いに過ぎなかったけど、今世紀の戦争は正義と正義が殺し合う。
去年アウシュヴィッツを見学した際、説明を受けたのは大量殺人という行為が合理的、機械的に行われていることだった。つまり殺人をしたい側は、そのシステムを考えるだけで、あとは政治をやる人間も、収容所の人間も血の臭いも肉の切れる感覚も感じることがなく人が死んでいくシステム。そこには迫害を受ける側に仕事を丸投げし、代わりに僅かでも力と希望を持たせることで労働に対する意欲と競争心を植え付けることができ、かつまたナチス側の人間が誰一人として現場を見ずに済むという完璧な合理化がされていた。
ナチスは優生保護に似た、劣等民族を排除し優秀な民族で国家を再構成するという理念の元に行われていたために敗戦と同時に強制収容所はなくなったが、今世紀、正義と正義が殺し合う世の中では終わりが見えない。血を洗うのは血でしかない。

さらに読み進めていくと、今までこのブログで書いてきたこと、書きたかったこと、書ききれなかったことが端的にまとまっていた。
「もともとは人のやりたい放題なんてそんなに大したことではありませんでした。畑で麦を作っている誠実な農夫にとって、やりたい放題はせいぜい収穫の後のお祭り騒ぎくらいのもの。(中略)でも、今はもっと大きな、破壊的なやりたい放題がある。それは社会が流動化したからです。農夫が自分の畑にいるかぎり社会は安定していた。しかし彼が畑を捨てて町に出ると話が変わってきます。町は誘惑の場だから。」「近代になって流動化はますます進み、人はますます不幸になりました。金銭・通貨・資本、それはお金というとんでもなく流動的なものが人間を支配するようになったから。(中略)もともとお金はモノとモノの交換を滑らかにするために発明されました。それが育ちすぎて、召使いのくせに主人顔をして、モノを押しのけて自分たち同士を交換するようになった」
「文明の規模を大きくしすぎたからでしょう。だいたいものを運びすぎるのよ。その土地の範囲でまかなえばいいのに、遠くのものをたくさん運びすぎる」「石油を使い尽くしたら次はなんですか? 自然からどんどん遠くなって、その分だけ危なっかしくなる。だから、文明ぜんたいをもう少し冷却した方がいい。そのためには個人が心を冷やすこと。静かな生活の中に静かな喜びを見出す。」

私が短歌を詠んだり、写真をスナップばかり撮るのはたぶん、日常の小さな心の動きに幸福を見つけることができるからなんだな。大きな幸福を追い求めなくても。
まぁ私個人の幸福はどうでもよくて、話を宗教の方に戻そう。生きる事は理不尽だ。たぶん。そこに信仰がなければ。 でもそれが変わってしまった背景には、この飽食の時代があると思う。なんでも手に入る。何一つ不自由しない生活。手を伸ばせば求めるものはだいたい手に入って、いや手を伸ばさなくても頼めばなんでも手元まで持ってきてくれる。むしろ手に入らないものの方が不快だという逆転現象。そのとき、理不尽を乗り越えためだった宗教の意味も変わってくるのだろう。それはつまり、エゴの反映ということ。
挫折はなにもないのに、生まれ持った信仰、場所のために苦しむ。だけど正義は一つだけ、自分の信仰だ。そのためには自分を排除するものをむしろ排除しようとする動きに出るのではないかな。これは推測にすぎないけれど。
こんなに社会が流動化していなければ正義のために死ぬ人も少ないだろう。
なんのための発展なんだ?そこに希望があるのか?それが人を幸せにしたのか?豊かにはなった、それが幸せとは全然違うことだった。私たちはいま、生きる事とはぜんぜん関係のない目の前の「仕事」に追われ、ただ生きているだけ、消化試合のような毎日を送っているのではないか。
そしてその結果に、人間は人間が発見したものの大きさに怯えるようになってしまった。交換を円滑にするための社会・貨幣は貧困や飢餓を生んだ。エネルギーは原爆やミサイルを生んだ。人間が制御しきれない原子力のエネルギーのために人が苦しんでいる。福島で。
それでも文明にどれだけの意味があったというのだ?豊かになったと開き直っている場合か?

私は無限の可能性を秘めた東洋の知恵の結晶に希望を持っている。
私の希望はどうでもいいかもしれないが、だとしてもひとりひとりがエコで、持続可能な希望を見つけるべき時が来ていると私は思う。
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by s-a-udade | 2012-04-27 01:06 |

私にとっての東洋医学 気の思想

私が鍼灸を勉強しているのは、このブログの読者の方にはたぶんご存じの事と思います。
いずれは東洋医学について、知識のない人でも、どんなものなのかを理解できるような記事を書いてみたいなーと思っていたのですが、なかなか書き出せなかったのです。
というのも、東洋医学について解説した書籍やホームページはごまんとあって、それらは私の文章よりもずっとわかりやすく面白いからです。私がわざわざその中に乗り込んでいっても居場所がほとんどないのは明らかなのですね。

でも、自分が東洋医学をやっている以上は、ブログの読者のみなさん、要するに友達のみんなに少しでも東洋医学を分かって欲しいなって思っていて、書かずにはいられない。そこで考えたら、教科書的な東洋医学の解説ではなくて、自分にとっての東洋医学の見方を書いたらいいんだ、という結論に至ったのです。

ここに書くのは東洋医学の常識的な考え方ではないかもしれません。異論反論あるかと思います。偏った考え方かもしれないということをご承知の上、読んでいただければ幸いです。


そんなわけで、第一回は「気」について書こうと思います。

気。
こんにち、気というとなんだかアヤシイイメージがつきまといます。
なぜでしょう。
それはね、実体として「気」を捕らえようとするからだと思うのです。
気なんてあるわけないじゃん。そういったら終わり。
「気なんてあるわけない」確かにそうなんだよ。それは目に見える形では存在しないし、写真にもレントゲンにもサーモグラフィーにも写らない。
じゃあ気は存在しないかって、私はそうは思わないんだ。
「気は実体ではない」と思うから。
気はエネルギーです。身体を動かすエネルギーであり、身体を衛る為のエネルギーであり。それは機能を総称したものであって、実体ではないんだなぁ。
だから、無理矢理にでも「気」を現代医学的に解明しようというなら、一部は酸素の働き、一部は赤血球の働き、一部はリンパ球の働き、一部はミトコンドリアの働き……。とキリがなくなってしまうはずです。注目すべきは、「酸素」ではなく、「酸素の”働き”」と書いた点です。気は実体ではなくて機能の総称、あるいは概念であると私は考えています。(それは東洋医学的な臓器の働きが実体ではなく機能を指していることから。その話は別の回にしましょう)
教科書的には、気は先天の気と後天の気に大きく分類され、その中に宗気、栄気、衛気、精気、穀氣などがあり、それぞれに定義があるのです。ここでは主題からそれてしまうので、気になる方は自分で調べてください。
だから決して、気というのは非科学的でアヤシイものではないのです。


話は少し変わりますが、実は鍼灸術というのは世界中に存在したという説があります。

1991年、ヨーロッパ・アルプスの氷河から発見された5200年前の男性の遺体「アイスマン」の腰、右膝、距骨關節、ふくらはぎなどには入れ墨の跡があった。
1947年、南シベリアのアルタイ山中、パジリク古墳から発掘された男性のミイラにも同様の箇所に入れ墨がみられた。
それらが針治療の跡であると推定されたことから、新石器時代にはヨーロッパからシベリアに掛けての広い大陸で、素朴な針治療が行われていたという仮説が浮上。
詳しい話は省略しますが、それがなぜ中国でだけ発達したかを考えると、針治療が気の思想と結びついたからだと考えることができます。
本当にざっくり言えば、経験的に集積された情報を説明するのに気という考え方が最も適していたから。針治療による効果を気によって説明することが出来て、気という概念を使って針治療を発達させることができた。そこにさらに東洋的な思想、陰陽、五行論などが乗っかってきて中国医学ができたと考えることができるのです。(あくまで簡単な説明です。実際は計り知れないほど複雑な過程があったのでしょう。)
気は抽象的な概念であるけれど、それは一つの哲学にもなりうるものです。

五臓六腑という言葉がありますね。
私たちは六臓六腑と考えることが多いのです。
人体には、六臓六腑に対応した気の流れが12本走っています。それを「経絡」といいます。経絡の上に「経穴」があります。経穴とはいわゆる「ツボ」のことです。(その辺の詳しい話もいずれ書きましょう)
ここで言いたいのは、気の流れに実体があるわけではないのです。あくまで経験の蓄積から帰納法的に見出されていったのが経絡だということです。経絡を解剖によって証明しようとした動きもありましたが(北朝鮮のキム・ボンハン学説)無意味なことです。
少し誤解を恐れない言い方をすれば、気も経絡もフィクションです。
現代医学では解明されていない様々な生命現象を説明する、そのための理論が気であり経絡であり、陰陽論や五行論であるのです。

少しは気について分かっていただけたかな。次回はこれをもとに五臓六腑について書こうかなと思います。

参考文献『日本鍼灸へのまなざし』松田博公 緑書房 および松田博公先生の授業資料より。
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by s-a-udade | 2012-04-21 00:24 | 東洋医学